基 武雄の独 立 開 業 講 座

ジンクス(縁起)は、自ら作り出すもの

阪神タイガースが18年ぶりに優勝した。星野監督や各選手のファンの皆さんは、なんともいえない興奮状態だった。
 さて、1999年、中日ドラゴンズの監督だった星野監督は、リーグ優勝をしています。この年に、星野監督の応援歌が出たのです。残念ながら、無名に近い状態でその年は終わったわけですが。現在、私が後援会会長をしいるGO2(ごーつ)という、まだ無名の歌手と知り合ったのはその年です。「私、歌手になりたいんです」と、言ったのです。私は、「やりなさい!」と、言いました。
 私の小学校の同窓生で、有名になった人に、フィンガー5の玉元正男君(漢字ではこうだったと思います)がいます。彼らは、歌手を目指して、当時、アメリカだった沖縄から昭和43年〜44年にかけてのちょうど1年間奄美大島・名瀬市(なぜし)に住んでいました。
 一世を風靡したフィンガー5です。彼らのことを話しました。「だから、あなたも自分の夢を諦めるな・・・」と。
 それから、メールで連絡をとりながら、現在は、後援会会長とGO2のホームページを作成しています。
 2001年だったと思いますが、中日から阪神の監督に・・・と言う話しがあったときに、脳裡を堂々と歩いているある考えがあったのです。「1999年に、GO2(当時は、ユニット)が歌って優勝したと言うことは、阪神タイガース監督になったならば、また、応援歌を作らせよう」と。当然、本人にも話しをしました。
 スポーツ系で優勝するということは至難の業。しかし、「GO2があなたのチームの歌を歌うと優勝しますよ」と、なったら、極端な話し、「練習しなくても優勝できるのでは・・・」と、勘違いしたくなるぐらいになったらいいのではないかと考えたのです。
 メールで、電話で、ことある毎に、「星野監督の応援歌を早く作れ、造れ、創れ・・・」言い続けたのです。ところが、本人も、頭が凍り付いていたのか、なかなか歌が出てこない。とうとう、2001年は終わり、2002年になってしまった。
 確か、2002年の2月に、待望のCDが届いた。応援歌ではなく、『星野仙一監督の心情歌』と言うことである。 できたらできたで、まだ、問題がある。どうして売るかという問題なんです。
 ところが、4月の中旬ごろのスポーツ新聞に、「星野監督の心情歌が、甲子園で、阪神タイガースの選手が練習中にBGMとして流れていた」という記事が、確か、2紙に載ったのです。
 これには、ビックリ。もちろん、星野監督のご厚意である事は言うまでもない。
 そして、昨年は、順調に勝ち進み、「優勝か」と、まで期待させられたが、最終的には4位で終わった。
 GO2は、『NEVER SURRENDER』(ネバーサレンダー)1枚525円(税込み)を持って、九州各地、東京では、ライブハウスにて活動してきました。もちろん、私は、ことある毎に、ホームページの更新で援護射撃をした。
 さて、ジンクスを信じる人、どうでもいい人、十人十色だろうが、常に、私がGO2に言うことは、星野監督の力はもちろん「GO2の歌があったから優勝できたんだ」と、各スポーツ系の人たちに勘違いさせる事だと。
 9月15日の優勝の瞬間を全国の阪神タイガースファンは、テレビの前で待っていたことでしょう。悲願達成の18年です。
そして、9月8日は、日本テレビの「スーパーテレビ」で、『NEVER SURRENDER』(ネバーサレンダー)がBGMとして流れ、9月18日でしょうか、今度は、テレビ朝日の「ニュースステーション」で、21日の「サンデープロジェクト」でも、星野監督が出演の際にやはりBGMとして流れました。これは、感激です。「紅白歌合戦」とそこまで話しは飛躍しませんが、星野監督が公認した初めての歌です。
 仕事も恋愛も、お金も時間も、自らが日々努力して勝ち得るものだと思います。 
 やはり、ジンクスも仕事同様自ら作り出さなければいけません。絶対に      

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