金久中学校物語

中学2年生


*** 中学2年生の時 ***〔このころは、私はF先生の隣のクラスでした〕

今年からは2年生になる。担任のU先生は鹿児島の人で奄美大島は初めてのようだった。残念なことに、僕の好き先生は隣のクラスの担任をしているのがくやしくてならなかった。隣のクラスは毎日が「面白いのだろうなぁ〜」と、思うと絶望感を感じたものだった。

さて、その先生であるがかなり情熱的な先生で教育熱心そのものという幹事の先生でした。口癖が、「沢山の映画を見なさい」だった。ピントこなかった。色々と映画の話をしたのだがあまり記憶にない。

たぶん、チャップリンの映画を見なさいくらいは言われたのだろうとは思う。その後、体育館で「禁じられた遊び」が上映されたが、動物か何かを殺して、埋めてという男の子と女の子の映画だったんですが、何の話かまったく理解されずこれほど退屈した日はなく一瞬ではあるが、勉強がいいかなぁ〜と思ったことがある。

1.ウンチュム、窓を描いたら窓を開けろ?。

F先生は、国語の先生でもありましたが、クラスによっては美術も担当していたようです。ある日の美術の授業の時に、M君のニックネームが「ウンチュム」といいます。

さて、美術の時間といえばなんといっても基本は、写生です。ウンチュムは、紙になんと校舎を描いたようなんですがそれを、F先生曰く「ウンチュム窓を描いたら窓をあけろ!!」と、言われた次の瞬間になんと先生は、カッターナイフらしきもので、その窓に切り込みをいれてまるで窓が開いているようにしたというのです。

話はこれではおわらず、このことが、私たちのクラスに伝わっていったのです。それを聞いた皆は、大笑い・・・・・。あまりにも先生らしい行動にただ笑うしかなかったのですが。ウンチュムもこんなことをされるとは思わなかったはずです。私が思うには、たぶん、絵がへただったのでしょうね。「ウンチュムごめんねぇ」

2.川端康成は、死ぬ!。

大好きだったF先生からH先生に変わってから国語の時間が退屈な時間になった2年生のころ。話によるとその先生は、校長先生よりも偉い先生らしく・・・・そういえば、中学生の僕が見ても年取ってるってわかるくらいですから。あまりにも僕たちと年が違いすぎて面白くないし、モーションも鈍いので、こんな授業ほどつまらないものはないのでした。ところがある日の国語の時間に、先生は本を読みながら僕たちの間を縫うように歩き回っていました。

そして、次の瞬間、「川端康成は死ぬ!と、言ったのです。うっすらと川端康成はわかっていてもいったいどういう人なのかわからなかったんです。

その次の日、新聞配達をしていたいやこのころは、厳密には、新聞発送業務だったのですが、「川端康成自殺」と、あるではないか。僕は、子供ながらに「先生が殺したんじゃあないか」と、思ったくらいです。それ以来、その先生の言う一言一言を注意深く聞くようになった。

しかし、この一言以外は全然記憶にない〔笑い〕あの衝撃は今でも昨日のことのようにとはこのことをいうのかと今でも驚かされる人生のひとこまでもあった。一年一年、年を重ねる時に、色々な人からの教えをこう素直な気持ちが人間には必要であり、色々な人たちとの出会いで大きく成長していく自分を見ることができました。

時々、あの日の事を思い出すときに、国語の先生だからこそ川端康成の死を確信できたのかなぁ〜と考える時があります。何かを極めた時に、人は、その業界とか人物の将来像が鮮明に見えるのかも知れません。数年前に他界したH先生に合掌。

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3.天皇陛下〔昭和天皇〕がやってくる

勉強嫌いの僕は、「ある日こんないい日はないっ!」と思ったものです。なんと、昼からは、自習時間が1時間あるというではないか。教室では歓声があがり僕は、「なんていい日だ!!」。ところが、朗報がまた、来たあと1時間というのだ・・・・。いやぁ〜もうこれは、天国ではないか、好きな女の子を見たり、友達を見たり・・・ただただ時間だけが過ぎていくのである。

そのころ、職員室では、察するところ天皇陛下がくるので、日の丸の旗をもって道路で振るという事を生徒にさせるかさせないかという事でもめていたらしいのです。

もちろん、私は、勉強がないのであれば、天皇陛下を見に行くのがいいにきまっているし、もっと大事な事は、勉強よりも車の方が好きでして、あの一生に一度しか実物を見ることができない『日産プリンスロイヤル』を見れるという事を知っていた僕は、もう胸はワクワクするばかりで、当日は喜んで学校を後にしたものです。

天皇陛下のおかげで、2時間は自習時間だし、おまけにまた、2時間も遊べるのだからこれは最高。「来た来た、日産プリンスロイヤルだぁっっっっ・・・・」天皇陛下なんか見ていない。もう、車にくぎ付け・・・・「あの車がほしいなぁ・・・」「でも、スカイライン2000GT-R(ハコスカハードトップ)がいいかな。いや、フェアレディ240ZGがいいかなぁ」もう頭の中は、天国じゃあないですか。「あっもういっちゃった」でもあの瞬間はとっても長かったです。ほんの数秒が何時間に感じられた一瞬ではありました。

そして、それから約17年後天皇陛下の死亡年月日をビタリと当てるとは想像もしていなかった。

4.先生のほうが大きいですね」「いいえ、先生のほうが大きいですよ・・・。

今日は、水泳大会の日です。どうも、この水泳は苦手で、あまり泳いだことがないので・・・。でも、大会は、始まったのである。さてさて、各クラスの先生たちが泳ぐ番になりました。

先生方は、皆、飛び込む姿勢なのにF先生だけはなんと空手ぎで登場するではないか。歓声がプールの周りから聞こえてくる。「F〜。F〜。」〔先生に先生なんて言ってませんでしたから、皆呼び捨てでしたけど〕そして、次の瞬間に「ド〜ン」他の先生はかっこよく飛び込んだのに、F先生だけは、空手の飛びげりでジャポン!!。

ここからが、面白い。なんとクロールはいいのだが、歩いているのだぁ。息継ぎの際に、右側で息継ぎをしたようにして右側の生徒たちに手を振っているかと思うと、今度は、左側にいる生徒に手を振っているのである。先生らしい馬鹿馬鹿しさにプールサイドは歓声が上がる一方で25mのプールでおきたたった10分足らずのF先生のショーは終わった。

 ところが、その後があるのです。泳いだ後は、必ず、目を綺麗に洗いなさいと、指導されていましたし、体ももちろん洗わなければならないわけですが、プールサイドに水道がありまして、蛇口にホースがあってそれで体を洗っていたのですが、なんと、F先生とFY先生は一緒に洗っているではないですか。

なにかあるなぁと感じた私と友達はその光景を見ることにしました。「先生の方が大きいですね」「いいえ、先生の方が大きいですよ」「エッ!本当ですか」各自の一物を見比べながらシャワーを浴びているというか。一物確認会?というか。その姿を、校長先生と女子生徒の2人がしっかっと見ていたのです。あ〜楽しい水泳大会だった。

5.憧れの先輩との交換日記。いやっ、ラブレターかもしれない。

小学生から年上のオネェちゃんが大好きで、その先輩と、毎日ラブレターが行き来する日々が続いていました。ともかく、グラマーで・・・なんといっても色っぽいのだ・・・。その先輩とは、万年筆のインクのところにラブレターを巻きつけて、音楽の時間にある場所で白昼同道と渡していたのですが、もうもうもうもう・・・毎日気が狂いそうでした。

そんなある日のこと、たぶん、話をしたのだろうと思うのですが、「F先生、私の家に酔っ払ってくるのよぉ〜。」「ふ〜んんんんん・・・・」「私大嫌い」。その一言で、記憶から先輩との交際がどこで途切れて行ったのか記憶喪失状態である。
あれから30年近くになるのだが、いまだに記憶が蘇ってこないのです。それは、ともかくあ〜先輩大好きだったのに。

6.今日から修学旅行。

 今日から、修学旅行である。始めて行く鹿児島と熊本である。どんな、ところなのかワクワクしてくるのだ。みんなあまみ丸に乗って船出をしていった。翌日、鹿児島についてから、確かジャングルパークでの食事だったと思うが、その前に港だっただろうかバスガイドの人たちだっただろうか、巨人の星を歌うのである。いったい何の歌なのかまったくわからない・・・。

あとからわかったのだが、奄美大島に民放がないことをしらなかったのではないだろうか。生徒たちはみんなキョトンとしていた。さてさて、食事も終わってバスに乗って熊本へと向かった。そして、鹿児島での最終日には山形屋であった。一番人気は、手品のコーナーだった。

もう〜目の前は白黒・黒白と・・・。だまされてばっかし。ところで、その前に行って来た場所があるのですが、島津家所有の「尚古集成館」に行って来た。昔の物が色々並べられている。刀、鎧、わけのわからない字が沢山書いてある長い紙・・・・。
それを見ていると、隅っこの方に人だかりがあるので行ってみると、F先生がいるではないか、「おいおい、もっとこっちにこい、そうすると沢山人が集まってくるから・・・」くるはくるは、「なになに」先生曰く「こうやって人だかりがあるとなにもなくても人が来るんだ・・・」人間心理をうまく付いたほんのひと時だった。

尚古集成館ホームページ
幕末までの700年の歴史がある島津家に伝わる史料を収蔵・展示する歴史博物館。所在地は鹿児島県鹿児島市。

7.他のクラブにしてくれないか。

毎週、クラブ活動の時間がありまして、スポーツクラブに入っている生徒は、バレーとか野球部で頑張っていたのですが、僕のように毎日帰宅部とかだといったいどのクラブへ行けばいいのかと考える男子生徒なんかは、実は1人もいなかった。
みんな、超人気先生のF先生の?クラブに希望していました。ところがである。余りの人気に、スポーツ系のクラブ以外に男子生徒がいかないものですから、担任の先生が希望変更の要請を男子生徒にしているので私はなにも考えずに要請にしたがった。

そして、僕は、美術が得意だったので美術部へ変更することにしました。その当日、なんと、憧れの一級先輩がいるではないか・・・。「やっぱしここかなぁ〜」と、お調子者の僕は喜んだものでした。が、一体、顧問の先生は誰だったのか今だに記憶がない。

さて、それくらい、F先生の人気は絶大なるものだったのです。

8.「オッパイもみもみ」
9.「毎月同じ日にきれいなおねぇちゃんたちが先生たちを待っている。今日はPTAじゃぁないのに」
10.「ピカソには日本人の妻がいる」


中学1年生の頃

中学3年生の頃


金久中学校・真潮会ホームページ
●平成23年2月27日(日)
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金久中学校18回卒業生・基武雄
その当時の思い出がありましたら、メールかFAXで、お願い致します。

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