オリンパス光学工業創始者
山下長(たけし)ホームページ

オリンパスOM-Dデジタルカメラタモリさんも使用しているらしい。  

プロローグ

 オリンパスには、私なりの思い入れがあります。17歳(1976年・昭和51年)頃、タモリさんと、オリンパスのファンになりました。タモリさんを始めてみた時に、「僕が芸能人になるのだったらこんな人」と、思っていました。後日、わかったのですが、新婚旅行が奄美大島だったというのです。

 そして、オリンパスに関しては、あのマイクロカセットレコーダーを見せてもらった時に、「こんなすばらしい会社はない」と、思いました。
それから、約20年したある日の事、オリンパス光学工業(高千穂製作所)の創始者が奄美大島の人だと言うことを知ってビックリしました。

 これも、この仕事をするという意味では何かの縁があったのではないかと思います。
 特に、奄美群島(北から、喜界島、奄美市笠利町龍郷町奄美市大和村奄美市住用町宇検村瀬戸内町徳之島町、伊仙町、天城町、和泊町、知名町、 与論町の11市町村。名瀬市、笠利町、住用村が合併して奄美市になりました。)の出身者が、政治、経済、文化、芸能界、スポーツ、法曹界などで活躍しています。

 奄美群島出身者で全国や世界でご活躍の皆さんに地元の偉人を知り、奄美大島を1人でも多くの人たちに知っていただくことが奄美大島のためだと考えています。

 奄美人よ、大正という時代に国産初の顕微鏡である『旭号・あさひごう』を、大正天皇に献上。
山下長(やましたたけし)社長がいたということは、もっと我々が頑張ってもいいのではないでしょうか。

オリンパス光学工業の創始者、山下長氏
オリンパス光学工業の創始者、山下長(前列、中央)
※しまさばくりの集合写真からトリミング
写真は、昭和33年1月東京奄美会信念宴会の出席者である。
平成21年10月12日(月)に、オリンパス光学工業創立90周年記念。

 特に、起業家を目指す人たちの励みになればと思います。「奄美大島人よもっとガンバレ!
私は、オリンパス光学工業をめざして頑張っています。

オリンパスの創設者プロフィール

山下 長(やましたたけし)
明治22年(1889)4月8日
鹿児島県奄美大島・名瀬市里生まれ。
現在は奄美市名瀬。
当時の住所を調べると、奄美市役所裏にある市役所の駐車場
東京帝国大学独法科卒。

わかってることは、山下長氏の父親は司法書士か行政書士のような仕事をしていました。
山下氏が成功すると一族が上京したために、親戚関係が奄美大島に在籍していない。

奄美の歴史を調べると誰かが、例えば東京で成功すると一族が上京する。あるいは家族の誰かが先に上京して基礎がためをしたら全員が上京をしている歴史があります。

当然のことですが、現在でもありえます。幸か不幸か不況の為に、あまりこのような話は聞きませんが。

●奄美奨学会再生の親
●オリンパス光学光学工業の創始者


 名瀬の高等小学校で3年修業して、百屯くらいの汽船に乗って鹿児島に渡り、中学造士館(二中)に入り、明治37年(1904)上京して東京京北中学を卒業した。「39年一高であった旧制高校の国家試験で大島出身者が五人合格(夏目漱石が英語の試験官であった)、うち奥山八郎君は熊本五校に、岡尚義、大和茂樹、基俊夫の三君が鹿児島七高に入り、私は第二志望の京都三高に入った。
五人とも大学は東京帝大で、同時に入学した」(「奄美」)昭和33年記事。

 昭和32年(1957)都内住宅百坪と百万円を奄美奨学会に寄贈。
これによって解散決議までしていた同会は再建され、奄美学生寮が建設された。

奥山八郎(おくやま はちろう)
徳之島・亀津(とくのしま・かめつ)出身
日本弁護士連合会会長
終戦後の極東軍事裁判では永野修身大将の主任弁護士を引き受ける。


岡尚義(おか しょうぎ)
奄美大島龍郷町大勝(あまみおおしま たつごうちょう おおがち)
長野県学務部長、秋田県・愛知県視学官


大和茂樹
奄美大島大和村・大和浜(あまみおおしま やまとそん やまとはま)
東京控訴院検事。退任後二松学舎専門学校(現大学)の教授も務めた。


基俊夫
資料がありません。

 直ちに弁護士となったが、父清涼の勧めた実業界に転身、親戚筋の松方正義の五男松五郎が経営する(株)常磐商会に入社、砂糖部長としてジャワとの砂糖取引で膨大な利益をもたらしたため、その"ご褒美"という意味もあって松方公が後援、大正8年資本金30万円で(株)高千穂製作所を創設し、社員80人、商標もトキワからオリンパスに変えて、国産顕微鏡と体温計の制作を始めた。
■現在のお金で4億2,000万円の資金を出した方がいるという。

 舶来品万能の時代でもあり、「法学士に顕微鏡などつくれるものか」といった冷笑もあったが、苦心惨憺して大正9年(1920)わが国で最初の「オリンパス顕微鏡旭号」を完成、天皇陛下の献上品ともなり、優良国産品賞を贈られた。
その海軍の指定工場となって光学兵器や光学機械も制作。

 11年(1936)にはカメラ生産も手がけて工場設備を拡大、従業員1,000人余りの花形企業に発展したが、15年(1940)安宅産業の資本参加を機に経営を譲渡、社名も商標と同じオリンパス光学工業と改められ、現在カメラ、テジタルカメラ、顕微鏡、特に内視鏡(胃カメラ、大腸内視鏡(肛門からカメラを入れて大腸ガンの検査をするカメラ))世界トップのシェアを誇る光学大手企業となっている。

 別途経営していた日真光学精機(株)の事業を戦後25年休止したが、その建物が火災で全焼したため、昭和32年(1957)その土地の1部100坪に100万円をそえて奄美奨学会に寄贈、これが同会再生に結実した。

 この義挙について「私も島津奨学金から毎月10円、亀岡奨学金から5円の学資を受けて東大を卒業できた、その恩返しです」と語っている。
 昭和34年(1959)2月9日69歳で逝去。

参考資料・奄美(しまんちゅ)の群像島さばくリU 
右田昭進著 定価1,500円消費税別)・一部加筆


奄美群島の有名人リスト

●オリンパス情報●

オリンパスOM-Dデジタルカメラ

高音質録音レコーダー


鉄ちゃん、バーダー、取材記者。
今は、ミュージシャンまでが必需品として使用しているICレコーダー。
高性能録音で、聴覚が喜ぶ優れものです。

双眼鏡



水中撮影



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オリンパス光学工業の歴史
1919(大正8年)
●株式会社高千穂製作所として発足
1920(大正9年
●国産初の顕微鏡"旭号"製品化 
●金属顕微鏡写真装置を制作
1921(大正10年)
●商標"Olympus"を登録
1927(昭和2年)
●液浸系顕微鏡"昭和号(GK鏡基)"完成、1500倍を実現
1930(昭和5年)
●金属顕微鏡"MC"を完成  
●大阪営業所を設立
1933(昭和8年)
●東京営業所を設立
1935(昭和10)
●本社内に瑞穂光学研究所を開設、写真レンズの研究本格化
1936(昭和11年)
●写真用レンズが完成し"瑞光(ズイコー)"と命名 
●初のカメラ、ズイコーレンズ使用の"セミオリンパスI"を発表
1940(昭和15年)
●"オリンパスシックス"発売
1942(昭和17年)
●写真撮影装置付金属顕微鏡"PMC"発売 
●社名を高千穂光学工業株式会社と改称
1943(昭和18年)
●長野県岡谷市に諏訪工場設立
1944(昭和19年)
●長岡県伊那市に伊那工場設立
1945(昭和20年)終戦
1948(昭和23年)
●国産初のレンズシャッター付35ミリカメラ"オリンパス35"発売
1949(昭和24年)
●社名をオリンパス光学工業株式会社と改称 
●ガストロカメラ(胃カメラ)の研究に着手 
●位相顕微鏡発表
1950(昭和25年)
●"ガストロカメラ"を日本外科学会で発表
1951(昭和26年)
●東京金属(株)設立
1952(昭和27年)
●二眼レフカメラ"オリンパス・フレックス"発売
1953(昭和28年)
●幡ヶ谷本社新築落成
1955(昭和30年)
●"オリンパスワイド"発売 
●胃カメラ研究会発足  
●測定器分野に進出 
●(株)信濃オリンパス設立
1959(昭和34年)
●ハーフサイズカメラ"オリンパスペン"発売 
●カメラの国内販売系列会社高千穂商会、オリンパス商会と改称
1963(昭和38年)
●世界初のハーフサイズ一眼レフカメラ"オリンパスペンF"発売  
●ファイバースコープ付ガストロカメラ"GTF"発売 
●八王子事業場開設   
●ハンブルグにオリンパス・ヨーロッパ(OE)設立
1966(昭和41年)
●モレア縞式測定器製品化に成功 
●最高級万能写真顕微鏡"フォトマックス"発表
1968(昭和43年)
●オリンパス・コーポレーション・オブ・アメリカ(OCA)発足 
●気管支ファイバースコープ発表
1969(昭和44年)
●世界初のマイクロカセットテープレコーダー"ズイコーパールコーダー"発表 
●オリンパス精機(株)設立
1970(昭和45年)
会津オリンパス叶ン立
1971(昭和46年)
●自動生科学分析装置"ACA"発表 
●万能顕微鏡"バノックス"発表
1972(昭和47年)
●OMシステムを発売、小型軽量化の先鞭をつける 
●機器・内視鏡等の国内販売会社オリンパス販売(株)設立
1973(昭和48年)
●大町オリンパス(株)設立
1974(昭和49年)
●システム顕微鏡"BHシリーズ"発売
1975(昭和45年)
●TTLダイレクト測光の"OM-2"販売 
●医療用硬性内視鏡分野進出 
●オリンパスUK設立
1977(昭和52年)
●三島オリンパス(株)設立 
●坂城オリンパス(株)設立 
●"OM-10"、"XA"をフォトキナで発表
1979(昭和54年)
●白河オリンパス(株)設立 
●オリンパス・ウィンター&イベを傘下にいれる
1980(昭和55年)
●本社機構、新宿移転 
●超音波顕微鏡及び超音波内視鏡発表
●レーザー光学式ビックアップ"TAOHS"発表
1981(昭和56年)
●オリンパスペン発売以来、累計1000万台突破 
●(株)岡谷オリンパス設立 
●オリンパス・ヨーロッパ新社屋完成 
●パリ証券取引所に上場 
●"XA2"通産省グッドデザイン大賞受賞
●辰野事業場開設
1982(昭和57年)
●ポータブルビデオシステム発売 
●辰野に半導体技術センター設立
1983(昭和58年)
●自動輸血検査装置"PK7000"発売 
●内視鏡システム"OES"発表 
●全自動コンパクトカメラ"AFL(ピカソ)"発売 
●OCA、OCCが合併し、オリンパス・コーポレーション(OC)と改称
●オリンパス精機(株)、会津オリンパス販売(株)が合併し、オリンパス光電子(株)と改称
●オリンパスソフトウェア(株)設立
1984(昭和59年)
●オリンパス商事梶Aオリンパス販売鰍ェ合併し、潟Iリンパスと改称
1985(昭和60年)
●"SIT"イメージセンサーの試作開発に成功 
●自動酸素免疫分析装置"PK300"発売
●高速ページプリンター"CIE-300シリーズ"発表
1986(昭和61年)
●UBI社(アメリカ)とエイズ抗体検査試薬を共同開発 
●オートフォーカス一眼レフカメラ"OM707"発売 
●光カードリーダー/ライター開発 
●ビデオスコープ発売
1987(昭和62年)
●光磁気ディスク装置開発 
●KeyMed(イギリス)を傘下にいれる
1988(昭和63年)
●OEなどが「サイエンス・フォア・ライフ基金」設立 
●オリンパス・ホンコン・リミテッド設立
1989(昭和64年/平成元年)
●技術開発センター宇津木、全館完成 
●オリンパス台湾設立 
●オリンパス・シンガポール・プライベートリミテッド設立 
●アルバカーキー・テクニカルセンター(アメリカ)設立 
●創立70周年記念"テクノロジーフェア"を開催
1990(平成2年)
●Humanグループ(西ドイツ)を傘下にいれる 
●香港、中国・広州にカメラ工場開設 
●デルファックス・システムズ社(アメリカ)に資本参加
1991(平成3年)
●潟Iリンパス・シンボル設立
1992(平成4年)
●オリンパスケミテック叶ン立 
●潟ーバス設立 
●エチコン・サージェリー社と提携
1993(平成5年)
●叶M濃オリンパスがオリンパス光学工業株に合併 
●日の出工場竣工 
●映像、情報、通信分野でDELTISブランド適用
1994(平成6年)
●電子スチルカメラ発売 
●オリンパスシンセン工場(中国)竣工
1995(平成7年)
●米国OAI社新社屋完成
参考資料・オリンパス光学工業ホームページ