田中一村ガイド
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右上のバナー広告は「オリンパス梶vです。掲載理由は、創業者が奄美大島出身者であることと、田中一村さんが愛用した二眼レフカメラがオリンパス製品だったということで掲載しています。

オリンパスのカメラ

 
 

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2016年9月11日の田中一村ガイド

昨日は、バニラエアでリピーターの方がお二人と、友人の同窓生が一人。
5人で、田中一村碑にある、私の名前をまず案内しました。
これは、凄いんです。
たったアレだけの寄付金で石碑に名前が彫られいることが(笑)。
金額は書けない(笑)。

そしてアヤマル岬で、地球がま〜るいということを実感。
次に行く、土盛海岸を指差している頃からスコールの雨が沖から降ってくる。
急いで、車へ逃げ込む。

車で約2分くらいでしょうか。
アヤマル岬から土盛海岸へ移動。
狭い駐車場にかろうじて、車が1台駐車できるスペースに。
先ほどのスコールもなく、太陽の笑顔が眩しい。
海の波は少しだけ高く、泳いでいる人が数名。

天然記念物のオカヤドカリを探したが、私に捕まると思ったのでしょうか、どこを探しても見当たらない。

さてさて、リピーターの方々は神奈川県から。
前回は田中一村を知らないということでガイドが修了しました。

そこで、奄美パークへ車を走らせる。
またまた小雨が降る、降る。ワイパーが忙しいねぇ・・・。とボヤく。

駐車場に駐車して。ところが、駐車場が満杯に見える。何が合ったのだろうか。
カウンターの女性に名刺を差し出し「添乗です。」と、言ってフリーであることをつげると。
私の名刺を見てから首をかしげる。
みてしまった。なんと私の以前の名刺があったのだ。
それも、私が事前に来ることを察知していたのか(笑)。
奄美観光物産協会の会員でないとフリーにならない。という。

610円だっただろうか5人分を担当者が支払う。

さて、いよいよ田中一村さんの作品を観ることになった。
私が分かる範囲で絵の説明をしました。
特に奄美大島在住の際の絵に関しては、交流のあった故宮崎鐵太郎さんの遺族が寄託している田中一村さんの最高傑作である「クワズイモとソテツ」など数点を弊社のホームページにも書いていない内容をお話しました。

偶然にも、9月11日が田中一村さんの命日でることを、私が忘れていました。

そして最後に、襖絵に関する。
意外な話などをして次の場所へ移動しました。


田中一村流健康法
1. 「乾布摩擦」
 
 いくら年間暖かい奄美大島といえど、冬は北風が強く吹くところで、10℃くらいまでは気温が下がります。一村は、毎日、乾布摩擦をすることによって皮膚を鍛えていました。

2. 「人間は、一日にバケツ一杯の野菜に酢を掛けて食べればいい」
 一村は菜食主義者です。自ら、畑を耕し、もちろん、無農薬栽培で野菜をつくりました。種も、画材同様に東京から送ってもらい、基本的には自給自足まの生活の中で、「人間は、一日バケツ一杯の野菜に酢をかけて食べればいい」と、言っていました。

3. 「寝るときには、頭は体の体温より2℃低くして寝ること」
寝るときには、体温よりも2度低くして寝ていた一村の枕になっていたのはなんとみつかん酢のビンでした。

田中一村流貯蓄方
 ともかく質素倹約の典型的な一村は、いつかは中央で個展を開きたいがために貯蓄をしていました。お店で、大根が1本100円だったら、つもり預金で100円を貯蓄していました。ともかく目標をもって1円から貯蓄することが基本のようです。

nhk日曜美術館「黒潮の画譜」田中一村作品集の嘘

 実は、理路整然と書かれているこの画集になんと公然と嘘が書かれているのです。5ページに松元さんの文章の中に上段左から6行目に、私は取材の打ち合わせなど上の空でデッサンをみつめていた。と、あるがそのときいったい本人はなにをしていたかご存知だろうか。「マージャン」をしていたのです。

マージャンをしていてあれだけの絵をみにくだけの力があったのだろうか。
本人は、nhkに多額の利益を上げることができたので栄転をしたのですが、あとからぼろがでてくるは・・・・。

田中一村の世界を現実から遠ざけて歪んだ方向にしてしまいました。
人間は、自分の出世だけを考えているとろくなことはないのかもしれません。

また、各ページに昭和40年代とあるが、これは嘘というよりも憶測でしてだれもわかりません。それもそのはずでほとんど人との交流がなかったわけですから。

■田中一村からのメッセージ?
こういう話しをすると、信じる人と信じない人がいますが、とりあえず読んでください。
 約、3年前の話しですが、突然、田中一村の声が聞こえてきたのです。実際には、聴いたことがないのですが、「私は、田中一村です・・・」というのです。

一瞬、何事かと思った。その霊が言うには、「絵がまだある」というのだ。 いったい誰が持っているのだろうか。それから、数日後、地元紙に、「田中一村が撮影した写真が発見された」と報じられた。

確かに、田中一村は、私に絵がまだある」といったのだ。後日、田中一村記念美術館にて展示されました。

 そして、2004年4月2日(日)の夕方、また、田中一村の霊が、今度は、「神さん、田中一村です。まだ、絵があるんです」というのだ。
 そんなことを言われても、心当たりがないので困った。しかし、声は若く聞こえるので不思議である。

匿名希望 様 

 2002年11月25日(月)にお手紙が届きました。
早速、拝読させていただきましたが、この方は、『絵のなかの魂 評伝・田中一村』の著者ですからその本の抜粋的な内容ではないでしょうか。

私は、この本を図書館で立ち読みした際に、ほとんどが「アダンの画帖」中野敦夫著に書いてある内容だったので、今のところこのホームページには掲載していません。(後日掲載しますが)

 また、取材の件ですが、たぶん、やっているのではないでしょうか。
これからの田中一村の世界では、こういった評伝の本がありとあらゆる所から出版されることは、私が、20代の頃から感じていました。
理由は、一村自身が多くの人たちとの交流をしていなかったものですから、「アダンの画帖」を超える著書はありえないと思います。

たとえば、一村が撮影した写真が新たに見つかったとか、録音テープの発見とかが考えられますが、一冊の本は無理があります。

 弊社のホームページは、冒頭にも書いてあるように、紹介してある本の内容以外のことを一村ファンの皆様方にお伝えできればと考えています。そのためのホームページです。
 私なりのコメントは以上ですが、物足りないようであればお手紙をいただければと思います。
ありがとうございます。


2009年9月11日 生誕100年

私的69歳死亡説
奄美大島に移住してきた人で有名になった人は69歳で、この世を去っていった。
偶然であろうが、3人の人がいると思います。これを私的に69歳死亡説と考えている。偶然にしても
あくまでも、2人だけのデーターですが。

■蛇足
1911年タイタニック号が沈没
9月11日旅客機が貿易センタービルに突っ込む。

不気味な数字が並んでいる。

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