基武雄の人生劇場

お葬式の仕事


これからどうして良いのかわからないときに、元山春光氏(当時、県会議員)から声が掛かった。

お葬式という仕事である。現実的には中学一年生の時に交通事故で亡くなった父のお葬式を思い出したが、与論島と奄美大島の葬式は若干違っていた。
さて、人が亡くなるというのは、24時間の中で葬儀社が油断している時である。いや、違う、死なないときには死なないが、死ぬときには一緒になって死んでいく。それも眠い2時~3時の時間帯に呼び出されるのが辛い。まっ29歳だから元気ではある。 遺体搬送して遺族の自宅に行く、打ち合わせ、これが大変である。先輩の説明を覚える。

一年間で約100回の葬式を経験した。司会も覚えた。商売の基本も少しだけわかった。 時々、先輩が「葬式は儲けるだろう。」と、言う。そうは思わない。何故なら葬式を完全把握していないころだった(笑)。 それからある程度一人で出来るようになってから気がついたのだが、葬儀社はリース業であることに気がついた。

祭壇や花輪などは何度(時と場合によっては無理だが)でも使える。そして、人が死んで儲けるのは葬儀社ではない。その人を恨んでいた人である。 色々な遺族がいた。ものすごく小さな家で見窄らしかった。息子さんからチップを抱いた。これには感激。その他には、元葬儀社勤務だというお兄さんからも貰った。嬉しかった。だって謝金返済の金が出来るからである。

霊柩車を買い換えた。特殊車両との初めての出会いである。このようにして購入するのかとカタログを見て感激。トヨタ車であった。 一年間で100件も葬式をすると色々なことに気がついた。

■いつ頃、人は死ぬのか
・寒さと暑さが3日間続いたら注意した方がいい。そして、急激な気温変化があった後に死ぬ。

・事故死などの場合には、普段やらないことをすると死ぬ。たとえば、釣りをしない人が「釣りに行く。」と、言ったり。お墓参りにも行かない人が、墓参りに行く。あるいは、肉を食べない人が何キロも買ったり。家族でそのような事を行動する人は必ずとはいわないが死ぬ。

・健康上と事故死もそうだが、仏様を拝むことなくくだらない宗教に熱心になっている人。このような人の場合には病院などで長患いしたうえに遺族に迷惑をかけたまま病死する。これは、常にあること。

■葬式の営業 当時、考えてやりたかったが奄美大島でも国内でも時期尚早という考えが一般的。

■連続して葬式がある 人によっては、短期間に3回も葬式がある。涙も枯れ果てる。精神、肉体共に疲れるががんばりどころである。 まずは墓参りか仏壇の掃除をお勧めする。

そして、ある日突然、切れて退職した。


包装資材の仕事

ここの仕事は、葬式業の秋葉屋を突然退職してから自宅から近かったので、仕事は好きではなかったが幸いなことに採用された。
理由は、男性職員の退職率が高いから採用されたのだろう。

仕事の内容は、各商店やスーパーに包装資材を納品する会社です。
たとえば、箸、爪楊枝、弁当容器、各種袋などです。
給料は確か15万円。
これでは借金返済は、ままならない。
当然、ボーナスも期待できない。
しかし自宅から近いから徒歩でも行ける距離だから助かっている。
葬式の仕事の場合には、残業手当があったから20万円ほどは貰えたと記憶している。
しかし毎月5万円も違うと、返済金が少なくなり悩んだ結果、返済金を半分にした。

毎日、注文をとり伝票を書き、朝仁の倉庫へ行って商品を取ってきて配達と集金。そして注文を取る。
毎日が苦痛であった。
それでも我慢しなければならない。
僕はいったい何をしてるのだろうか。
自問自答の毎日である。
仕事は8時から確か7時ので、帰宅して夕食を食べてから横になったら朝が来ていた。
毎日がこれだから、有意義な生活ではなかった。
実は、勉強がしたかったのだ。
テレビを観るとか本を読むとか。
特に図書館に行きたかった。幸い日曜日が休みなので日曜日が最大の楽しみでもあった。

社長は地元の人で簡単に言うと商売に関してはプロだろうが、男性職員には嫌われている。
アドラーの嫌われる勇気とは違うのだろうが(笑)。
本来なら、社長の経営を勉強するのが成功の早道だったところもある。が、人間的にあわない。相手も私を好きではない。
これでは、仕事はなりたたない。

そしてある日のこと、耳を疑うことを聴くことになった。
注文書を書き、朝仁の倉庫へ行ったり配達に行ったりの繰り返しをしていた午後。
年下で先輩になる彼から突然、「基さん、僕は社長も仕事も好きじゃないけど、基さんが資金繰りをするなら僕は、この仕事をしていもいいですよ。」
その当時の私の借金は900万円はあって、毎月10万円以上も返済しているのだ。
気が合うのだろう。

こんなことがあった。今は閉店した寿屋に納品している最中に社内に集金カバンを置いていたら、盗まれた。
早速、屋仁川派出所に行って、捜査してほしいとお願いしたら、当時、評判の悪い警視庁からの出行している警察は冷徹な顔で断られた。
これが警察か。激怒した。
幸い社長の理解があったから、盗まれたお金の返済まではなかったが、そのときだけは社長に感謝した。

ともかく面白くない仕事。疲れる仕事であることは間違いない。
僕には、合わない。無理。
ある日の夕方、理由は忘れたが社長と衝突して退社した。

それから数年してから、今度は社長から信じられないことで声をかけられた。
当然、断った。但し、顔でね。

実は、このモリタ商会で働いて、良かった・・・。と、実感する日が来るとは思いもしなかったのだ。
人間塞翁が馬である(笑)。

奄美観光ホテル

あのタモリさんが新婚旅行で宿泊した奄美観光ホテルで

結婚式や会議、イベント等をマスターする。奄美大島では、NO.1のイベントプロデューサー。私が色々な仕事をした中で、ここのホテルほどいい勉強をさせていただいたところはありませんでした。

ましてや、お葬式屋さんにいたこととその前の仕事で、包装資材の仕事をしたことが、みごとな売上をあげるなどとは夢にも思ってみませんでした。

それは、法事料理で、御葬式屋、包装資材の配達〔お弁当箱とか箸等スーパー等への配達業務〕の経験が、法事料理の売上を飛躍的にあげたのです。

お葬式のところでもふれましたように、いつ人間が死ぬのかがわかっていますので、今月は(2月)人が多く死ぬ。と、判断しました、朝礼で法事料理の支持を出しました。
まず、3,000円と3,500円の法事料理を中心にお勧めすること。

次に、前職の包装資材会社の在庫がないので、U-72とU75〔法事料理用の出張用容器のメーカーの番号〕を各300個を即注文させました。調理長には、結婚式と重なるのでそれなりの対応をお願いしました。出張が多いので、配達の人を午後7時ごろまでは待機させること、指示したのは以上です。

毎月の法事料理の売上が、確か6倍くらいまでいきました。これで、仕事に対する直観力と行動力がともなうという体験を初めてしました。ともかく、いろいろな仕事をしてきた経験をうまく組み合わせて売上アップに貢献できたことが今の仕事の自信になっているのです。

さて、このホテルで働いて感じたことは、一人一人に会いに行く営業を長年頑張ってきたのですが、ホテルだと私が会いに行かなくても相手が私に会いにくるようなものだから楽な営業ができたと思います。

また、十数年ぶりの再会があり思わず結婚披露宴の最中に男同士抱き合ってしまいました。ともかく、色々な人たちにお会いして、色々なことを教えていただける職場でもあります。

冠婚葬祭を通じて様々な人生模様を見てきました。ダイヤモンドを磨くのも同じダイヤモンドなら、人間も同様に、同じ人間に磨いてもらうしかないのだと私は思います。

私同様に、色々な仕事をしたことによって回りから誤解をされたと言うか、「また、仕事を変わった」と言われている人は、今までの人生の棚卸〔自分自身の分析〕をしてからどの仕事とどの仕事を組み合わせたら自分にはベストなのかよを研究してみて下さい。必ず、ピッタリの仕事を発見するはずです。そして、もうひとつのホテルに勤務 。

私が、このホテルでやってきたこと、考えたこと・・・

プレゼンテーションは、レイアウト集

当時、プレゼンテーションの本が、多くの新聞等で、広告が目立っていた。早速、何冊も買い求めて勉強を始めた。

当然わかりっこない。イライラしてきた。そういう気持ちを抑えて、ともかく、実践をする事にした。

それから、某顧客のところで、意外な話しを聞いた。「これ、基さんのホテルですよね・・・」見せてもらってビックリした。「・・・退社しても、ここは、企業秘密・・・」

「よし、わかった」早速、ホテルの設計図からプレゼンテーション用の図面をトレースした。
 もちろん、理由がある。お客様との打ち合わせの際に、テーブルの配置が一番の問題になるのですが、机上の論理だと、奄美観光ホテルをご存じの方はおわかりだろうが、ホテルをはみ出して、サンサン通りを通り過ぎて、プロミスまで、行くようなセッティングの図面で打ち合わせをしたことがあります。

これでは、お客様に対しても失礼になるのと、無駄な時間をなくすためにも絶対必要であった。こういった、効率の悪い事を事前に防ぐために、ホテル内のレイアウト集を製作したのです。

当初は、すべての各階の基本的な会議、宴会等を手書きで書きました。その後、「レイアウトのない物がほしい」とか、「こうしてほしい・・・」と、言う要望にも応えていきました。

まず、目標を決めた。

某ホテルで、毎年行われている、会議のプランを当ホテルの図面にして、プレゼンテーションをした。これに関しては、じっくり一年という時間をかけて、当ホテルで、行われることになった。これも、事前のプレゼンテーションと、やはり、図面の力ではないかと自負しています。
また、担当者に対しては、「当ホテルで開催した方がスムーズに行きますよ」と、事前の営業活動も念入りに行った。

 常連のお客様に対しては、基本的なレイアウト集と白紙の用紙を添付して配布しました。
しかし、ここで、あることに気が付きました。お客様によっては、不要なレイアウト集もあるので、最低必要限度のレイアウト集だけにしたことで、無駄を省いた。

※ ともかく、常連のお客様には、このレイアウト集を配布してまわったら、一軒のお客様から褒められた。
嬉しかった。自分の努力が認められると言うことは、う~ん、やはり嬉しい。その方の顔は、今でもはっきりと覚えている、その方も、自社のレイアウトで苦労したらしい。

 このレイアウトでは、自分なりにいい勉強をした。そして、設計ミスということにも気が付いた。(このホテルではなく、色々な場面で、各ビルディング等で気が付いた)

 某社の展示会があるというのだ。ホテルの図面が出来上がり、次は、これに、写真を掲載してもっとわかりやすいプレゼンテーションがないのか、と考えたので、当日は、確か休日にもかかわらず、ホテルへ出かけて行って展示会場を撮影した。

お客様への対応、会場の雰囲気、各商品を説明している社員の方、お客様の視線。
そして、あることに気が付いた。
この商品は、女性に決定権がある商品なのに、会場に花が一本もないのである。わかった、上司だけで決めた企画だということが。

まず、展示会場の写真を36枚ほど撮影
レイアウト集に写真を貼り付けた
一冊の報告書にまとめた
最後に私なりのコメントを付け加えた。

もちろん、「上司だけできめたこんな企画だから、一本も花がないのでしょう。」という事を始め、約10項目近い内容を遠慮なく書いて提出した。

後日、お客様から喜ばれた(はっきり言ったから)と同時に、お客様の取引メーカーからも、「今まで、そういった物を観たことがない」と言うことで、急いで、複製を作成してお届けした。
これを機会に、自信を付けた。次の目標と売り上げを考えるようになって行った。

俺の借金ナンボヤ。
上田正樹の歌にもある。毎月の支払いが、確か、13・4万円位だったと記憶している。
借金の合計が、確か、約800万円である。単純計算で、900万円÷13万円で69.2ヶ月である。
これをさらに、12ヶ月で÷5.7年になる(実際は、後2年くらいプラスになる計算だったと思います)気が遠くなりそうで、借金の全額は考えないようなした。

OSAKA
『ぼちぼちいこか '08』フューチャリング くいだおれ太郎
Best Selection
ゴールデン☆ベスト

ともかく、暇があれば、借金返済シミュレーションの日々であったが、最後は呆然とする。(笑)それもそのはずで、これからの未来が予想できないのである。

集計表に、支払先と返済額を記載して、頭を抱えていた。

一眼レフカメラの購入をどうするか。

そのころ、カメラに興味があったのと、色々な写真を撮影したいという好奇心から、自分のカメラを所有したいという事で、早速、カタログを見て、ため息ひとつ。

ニコンのカメラが10万円以上するのだ。とてもじゃないけど、手が出ないので、アサヒペンタックスのZ10という、カメラを購入した。暇さえあれば、パチパチ撮影して行った。
もちろん、露出も絞りもわからない(笑)。適当にオートフォーカスである(笑)。

料理の写真を撮影したり、このカメラでは、写りが悪いので、キャノンのカメラを貸してもらっての撮影をしたりで、なんちゃって写真家は、日々、楽しくてしょうがなかった。

瀬戸内町のホテル勤務

「あなたはモーセの生まれ変わりね・・・」

奄美観光ホテルを退社してから、瀬戸内町のホテルで働くことになった。
このホテルはバブル期に開業した奄美大島にはグレードの高いホテルであった。が、経営が苦しいと言うことは、新聞広告を見て直感した。

さて、名瀬市の知人から東京から先生(神様を拝みに来るとのこと)が来島されるので、段取りをしてほしいと言うことでした。ホテルの宿泊や加計呂麻島(かけろまじま)へ行く段取り。当然、夜の懇親会の段取り等は楽しかった。

そして、当日、「基さん東京の先生です(失礼ながら名前を忘れてしまった) 」と、紹介された。その時である「モーセ(モーゼに聞こえた)の生まれ変わり」と、言われたのだが、私は、そのモーセがいったい誰なのか分らなかった。

次の瞬間、周りは自然体というか、いつものことだとチラッと見るだけ。「ただ者ではないなぁ~、モーセという人は・・・。」

その後は、加計呂麻島(かけろまじま)へ行った夜は懇親会があった。これが、楽しかった。ワインの好きな先生は赤ワインが大好きで、加藤登紀子さんの百万本の薔薇を歌わせたら、本人よりも上手に聞こえる(笑)。(この百万本のバラを加藤登紀子さんの事務所に直接リクエストをするとは予想もしていなかった)
また、一度聴いた歌をリクエストして歌っていた。ビックリした私に、秘書のような方が、「音楽が分るので・・・。」と、言った。

その後は、二次会に出かけた。飲みに行った。

それから、数年後に、喜界島、奄美大島、徳之島、沖永良部島にてコンサートを行ったが、私が全ての段取りをする事になるとは、予想もしなかった。それも、ハイビジョン撮影である。カメラはソニー製(当時の価格で3000万円)でNo2の製造番号であった。(後日、フジテレビ系で放送された)


GOLDEN☆BEST/加藤登紀子
ほろよい物語 加藤登紀子オリジナル曲集 1968-2008
青春歌年鑑 1971

■成功する方法
人生の棚卸し後、失敗したことの反省よりも、些細なことでも良いから成功体験だけを思い出して行動して下さい。
そのうちに、成功パターンがわかってきます。軌道修正にも役立ちます。

ともかく、成功パターン認識を多くしてください。




>>>続きを読む・・・

<<<読み直す・・・

基武雄の人生劇場 Home

もしも、悩み事があり誰にも相談できない。
しかし、私になら「話ができる。」あるいは「相談できる。」と思われる方は遠慮なく電話してください。
あるいは、即答できないかもしれませんがメールに書いて下さい。
当然、他言無用です。
まずは、悩み事があれば『吐くことです。』気分がスッキリするまで吐くことです。
言うのではなく。
私に吐いて下さい。
まずは、スッキリしてから人生を謳歌しませんか。
まだ私は、発展途上の成功者です。
誰かに相談すれば解決することもあります。

携帯電話 070-7640-6770
9 ~ 21時まで。
いいメール