徳洲会・徳田虎雄代議士との出会い
徳洲会と言えば、もちろん、知らない人が多いにきまっていることでしょう。いまから、26年前に一人の若き医者が、「命だけは平等だ」をスローガンに全国に病院を展開してきました。もちろん、いまでも医師会の圧力はみごとなものですが、当時は、まだ、すごかったようです。
この前、久しぶりに徳田先生とお会いした際にぼやいていましたが、「人の命を救おうとすると圧力がかかる・・・・・」と、さて、「年中無休24時間オープン」。コンビニよりも病院がすべてそうであってほしいものです。
日本という国は、先進国ではまだ低レベルらしく、3年前に聞いた話ですが、歯科業界よりも10年は遅れているというのです。
さて、現在は、全部の病院やクリニックが徳洲会病院という院名ではないのですが、全国に約170以上も開院しています。今年からは石原都知事と東京との医療改革をめざします。
さて、昭和58年に日本の選挙史上歴史に残る選挙が展開されました。その名を「保徳戦争」という早い話が、買収、尾行、圧力はもちろん、兄弟や親子でも、森内閣の際の法務大臣保岡氏派と徳田派にわかれての選挙は、各マスコミの餌食になり「奄美大島の恥じだ」と、本土の出身者からも批判を浴びるは、奄美大島の出身とは言わない。言えないとかとか・・・・・。それは、たいへんな選挙でした。
衆議院議員徳田虎雄事務所で、選挙活動。また、全国各地に徳洲会病院がありますが、大阪の病院では、デイケアと人間ドックの営業をしました。
詳しくは、■徳田虎雄先生との正しいお付き合いと理解の方法講座
私が、徳洲会でやってきたこと。
まだ、書いていない。忘れています。いつか、書きます。
--- 1997年5月、足立美術館にて ---念願の足立美術館に行った。
ここは、島根県安来市(やすぎし)です。そうです、あの安来節の・・・。ある居酒屋で、田中一村の話しをしていたら、ある社長さんが、「そんな(田中一村の)話しをするよりも足立美術館へ行って来い」と、いうのです。私は、「それはどこにあるのですか」と、尋ねると、島根県だというのです。「それは、無理です。
奄美大島からだと15万円はかかりますから・・・」と、言う話しをしたのです。
しかし、そこへ行くチャンスが訪れました。早速、旅費を計算しました。そのころは、仕事で大阪府八尾市で長期滞在の仕事でいたものですから、日帰り旅行を計画しました。
5時に起きて、岡山駅で乗り換えて、山陽線というのでしょうか。島根県に向かって走り出しました。安来駅に到着後、タクシーに乗り、「足立美術館。いくらくらいかかりますかぁ」「2,500円くらいです」。
タクシーは、走り出した。が、心の中では、タクシーの運転手の話はつまらないだろうなぁと思っていると、話しかけて来るではないか、それも、観光ガイドをはじめたのです。
地形とか足立美術館の話しとか、退屈しない内容に吸い込まれていく自分に気が付きながら、観光バスが見えてきた。あのバスは、「足立美術館のスタッフが営業をしている」と、いうのです。(集客に努力しているのです)
そして、あの建物は、地ビール工場(当時は、全国的に地ビールブームの真っ最中でした)を建設中とのこと。
そして、約2,200円のお金を支払ってから、入場料が、2,200円。日本では、年中無休で、2,200円もする入場料はここだけとのこと。
早速、躍る心をなでなでしながら入っていく。ここは、横山大観の絵と、北大路魯山人、河井寛次郎の陶器というのでしょうか。2,200円の価値は十分にあります。また、日本庭園は何とも言えません。
さて、そろそろ帰る時間になり、出口へ急ぐとお土産品があるのです。色々見て回って行く内に、興味深い本を見つけました。足立美術館の創業者の本なのです。
これが、面白い。元々が不動産業で・・・、お姉ちゃんが大好きなようで、その内容には笑えるし、そう時にはこういう対応をした方がいいのかぁ・・・。と、考えさせられる。
経営哲学よりもお姉ちゃん講座の方が面白かったりして。大富豪志望の私にとっては、蔵書ベスト10に入る一冊です。この本が、なんと、1,500円と安いのです。是非、お買い求めください。
そして、また、タクシーに乗って安来駅に行くわけですが、もちろん、運転手は違うので余り期待しなかったんですが・・・。さにあらず、この運転手さんの話も面白いのです。
原爆投下の話しとか。当社で花嫁さん用の車を購入したはいいが、ナンバーが縁起でもないとか。ともかく面白すぎて、記憶にないのが残念ですが、観光ガイド業をしようと計画している私にとっては、この旅行はいい勉強になった1日でした。
帰りは、米子空港から懐かしいYS-11に乗って帰りました。
その後、法隆寺(ここが、世界遺産だとはまたっく知らなかった)、京都市では、あのMKタクシーに乗ったり、奈良県天理市へも出かけました。
1.全国一高い入場料金であっても、内容の充実と美術館側の積極的な営業で入場者も満足するのではないでしょうか。
2.タクシーの運転手さんの話が道中まったく退屈しない。確か、2,200円の料金だったが満足感のある料金でした。
3.創業者の本を参考にして頂きたいのですが、美術館の景観を壊さないように、中国電力側が電柱を地中に埋め込むことを協力。
また、竹下登(元総理大臣)氏の協力もあった事。これによって、企業や政治家の協力が地元を発展させる要員にもなると言うこと。当たり前のようだが、三位一体のスムーズな動きは、そう簡単にできるわけではない。
4.企業努力をすることがこれだけの集客力と満足感を与えるという、商売の基本を勉強させられた。
5.こういうと、安来市の方に怒られますが、知名度は、安来節くらいだし、各地から遠いし、立地条件が悪いにもかかわらず、足立美術館のような全国に自慢できる施設があると言うことは、自治体の美術館・博物館も見習う必要があるのではないでしょうか。
6.現在は、駅からシャトルバスが出ているようですが、観光関係者はタクシーの運転手の説明を勉強していただきたいのです。
1997年たぶん6月、斑鳩町・法隆寺にて
大阪府八尾市、跡部北の町の駅で見かけたパンフレットが並んでいた。すべて見た。そして、法隆寺に行くことに決めた。理由は何となく大きな建物に惹かれた。斑鳩町(いかるがちょう)という漢字が読めなかった(笑)。
早速、駅に降りて、法隆寺の方向に歩き出した。初めて観る町はすべてに感動した。行き交う人や自動車にもだぁ(笑)。
てくてく歩るいて行くとそれらしき物が見えてきた。早速、見てまわったが、修学旅行生らしき団体がいた。私も見学したが、何がなんだか分らない。いかんせん、予備知識がないのだから困った。
突然、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規 」が、目に飛び込んできた。「ああ・・・、ここが法隆寺なのかぁ・・・」と、実感した(笑)。知らなかった(笑)。
退屈のあまり、坂道だっただろうか、歩いていくと鐘があるではないか。なんと言うことだ、おじさんが、「この鐘を突いて良いよっ」というじゃないか。早速、初体験。
初体験と言うやつはいつも、身体のどこかに力が入ってしまう。ガァーーーン。と鳴り響いた瞬間。紐らしき物がはずれてしまった。これには、おじさんも少々オカンムリであった。が、私は、心の中で叫んだ「やったぁぁぁ・・・っ」と。この他に、お土産品等を色々とみて歩いていました。
そして、退屈したので法隆寺を後にして、周辺を歩き回った。行き交え人たちに、駅を尋ねて歩いた。途中で本屋を発見して、立ち読みをして、また歩き出す。
お金もかからない1日旅行のようなものです。たぶん3,000円はかからなかったように記憶している。奄美大島では、体験できない。汽車に乗るとか、お寺とか。それも、国宝である法隆寺。
実は、法隆寺が国宝だということを知ったのは、だいぶ立ってからである(笑)。
やはり、旅の記録は残しておく必要があるのではないだろうか。今の仕事にだいぶ役に立っている。
関西に行く、お得なツアープラン
1998年2月 東京で診療所開院の営業をする
東京への憧れは、20代の頃からあった。しかし、仕事が出来るわけでもなく、そんなことは、諦めて、しばらくは、東京の歩き方をするべきではないかと考え、お金が貯まったら、上京をして、銀座、西新宿、新宿、赤坂、秋葉原、その他・・・。
そして、ある日の事、某所で知り合ったお医者さんが、開業したいと言うので、西新宿で待ち合わせて開業の準備を始めました。しかし、うまくいかないのは、直感以前に、感覚としてわかっていた。(このことは、どこかで、お話ししなければいけないので、今は保留します)。
さて、私が、営業した企業は、ヨドバシカメラ、安田生命(明治安田生命)、朝日生命、富士重工業、日本飛行機。大企業から、小さな事務所まで、コピーした資料を持って一軒残らず回った。
一番ビックリした会社が、『武富士』である。まず、長方形の建物で、入っていくと大きなホールの中央に、愛想のいいおじさんがご丁重な対応をしてくれた。これでビックリしたのではない、なんと、かなり広いホールにその受付だけなのである。下手なホテルも真っ青。と、言う感じ。
そこから、「・・・」という部署にエレベーターに乗ったのだが、各階ごとに社員が乗って来るたんびに、挨拶と、はっきりとした声での対応に、新宿では最高の接客をしてもらっていい勉強をさせてもらった。そして、「・・・」部署の20代の若い女性は、私の話を、真剣に聞いてくれるのである。
業界ナンバーワンという企業の基本的なところを見せてもらった。私にとっては、いい経験をさせてもらった。
ところが、営業はうまくいかない。
この診療所は、ちょっと大げさに言えば、診療科目は言えないが、これだけの診療科目での開業は、日本で始めてと言っても過言ではない。というくらいの診療所でした。先生の腕はたぶんトップレベル。最高の腕をしている。
しかし、私は、営業はできるが、レセプト請求はできない、助手や看護婦さんのこと・・・とか。
開業してからすぐに患者さんが来ると言うわけにはいかない。と、思っていたら、私の留守中に、私が営業をした某企業の人が、来院はしたが、私が、45日間営業した間で、記憶では、たった1人だけであった。
専門の診療科目で開業したい場合には、やりたくない診療科目も必要なのです。これは、どこの会社でも言えることなのです。やりたいことをやりたいのなら、やりたくないこともやらなければいけないのです。軌道に乗るまでには、時間がかかります。それまでには、日銭稼しかないのです。
新宿では、すべての業種で競争激化地帯なのです。まだ、ほとんどの人が知らない医療に関して、いきなりそれだけの診療科目だけでは先が見えている。
この診療所がうまくいくと、絶対に有名になるのは、間違いなかったのに・・・。悔しい。
この経験から、自分自身の営業と将来性を見据えた感覚が、今まで以上に養われていった。西新宿という、場所で、各企業を飛び込み営業をしました。東京に対する憧れ、厳しさ、軌道に乗るには時間がかかる。
しかし、時間をかけていては経営できない。
たった45日間ではあったが、色々な経験を自分で探した。行動もした、が、まだまだ、思うような営業はできていない。それが、心残りではあるが、いつか、この経験が、役に立つ日が来るのではないかと思い、今でも、模擬実験をかかしていない。
このときの先生が、2004年5月の日本テレビ「思いっきりテレビ」に出演していました。
■成功する方法
人生の棚卸し後、失敗したことの反省よりも、些細なことでも良いから成功体験だけを思い出して行動して下さい。
そのうちに、成功パターンがわかってきます。軌道修正にも役立ちます。
ともかく、成功パターン認識を多くしてください。
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