田中一村終焉の家
JALの機内誌アゴラ5月号に「一村と豊穣の島」
54頁から61頁に掲載され、田中一村の終焉の家、植物や57頁の6の写真は、名瀬与論会会長、川畑文敏さんが文さんとして紹介されています。
持っている魚はエラブチ(標準語ではアオブダイで一村さんも描いています)。
また、中央の写真にひょっこりひょうたん島のような島がありますが、山羊島ホテルです。
実は、ここで最初の田中一村展を開催する予定でした。
田中一村記念美術館や60頁には奄美の郷土料理も紹介されています。
もっと詳しくは、田中一村マニアックガイドでご案内致します。
このホームページに関しての内容は、現在までいくつかの著書が出版されていますが、
その著書にもない事実をガイドすることで、田中一村の世界が伝説とならないようにすることが目的であり、
特に、NHKが日曜美術館にて放送されて以来、一挙に田中一村は全国に知れ渡るようになりました。
しかし、以前から感じていることは、一村の世界が間違った方向に、
また、間違った表現で語られていることに気がついていましたが、本を書くまでの時間とねたがないので、皆様方に紹介していくことにいたしました。
田中一村の世界を一言で言うと、「おじさん、お茶でも飲んでいきませんか」で、始まり、余所者の一村が一番信頼した人も、同じ余所者だったという落ちで終わっている。と私は感じています。
奄美大島に住んでいる私の一生をかけてホームページ上におきまして皆様方に情報を提供して行きたいと考えています。
ここは、笠利町のあやまる岬〔奄美空港から車で約10分のところ〕の途中にある「田中一村碑」です。
一村は、ここで写生をしています。昭和61年8月3日、この一村碑は一村の生き方に賛同された多くの方々の善意で建てられました。
一村の故郷を遠くに望む場所に建てられました。
参考までに、NHK日曜美術館「黒潮の画譜」田中一村作品集の34・35貢にある絵がそれですが、アカショウビンが、岩の上に、描かれていますが実際にはそんなことはありません。
(一村はこのアカショウビンがとっても好きだったようです)
田中一村の終焉の家
奄美市名瀬有屋にある、田中一村の終焉の家です。が、勘違いされますので少しだけ説明しておきますが、
確かに、一村はこの家で、昭和52年9月に息を引き取りましたが、この場所ではありません。
この場所から車で約5分くらいの所にありました。
しかし、生存中も亡くなられてからも、都市計画という大きな波に飲み込まれてしまいました。もともとは、畑の中にあった家だったんです。
都市計画で、移設をよぎなくされました。私の記憶では3回くらいの移築をされているせいか、だいぶがたがきているうえに、当時の面影などはまったくありません。
写真の左側は、トイレ。
右側には大島紬の行程の一つである泥染めをする場所があります。
ここには、蜻蛉、蝶、野鳥も飛んできますので、一村ファンでなくても充実した時間を過ごせます。
■1日コースの内容
例えば、奄美市名瀬のホテルを午前9時に出発。15時頃までにはホテル着。
コースは奄美市名瀬市内の散策、一村さん終焉の家。奄美市笠利町の某所、田中一村記念美術館。
基本的には9時にホテル出発の約6時間
料金は1日コースで、お一人様30,000円
電話で、問い合わせる。
※スマホ・iPhoneのお客様は、タップすれば繋がります。
来島までに時間のある、お客様はメールでホテルや日程等をお問い合せしていただければ、より良い楽しい観光ガイドで、ご案内することが出来ます。
※全日空。東京、大阪からのカーフェリーは就航していません。