基武雄の人生劇場

事務機械の販売修理

17歳の時に鹿児島で、しばらくの間事務機の修理を勉強して、奄美で駐在員をしてもらえないかという話があったので、「これ幸い」と、二つ返事でその話にのり、鹿児島で約三ヶ月間暮らすことになりました。

早速、鹿児島行きの荷造りをした。布団袋に布団や洋服を入れて準備した。
カーフェリーに乗って出航まで船内をウロウロしていたら名瀬小学校時代の同窓生と会った。

彼は、鹿児島の高校に行っているという。 母親も一緒だった。
「基君、どうしたの・・・」と、聞かれたので鹿児島に住むことになった事を話すと、「僕のいるアパートが空いているというのだ」
即答した。「お願いします。」
アパートは、鹿児島中央駅(旧西駅)近くにユニオンホテルがあります。その裏に公園があってその横であった。(2008年10月、31年ぶりに行ったらマンションが建っていたが懐かしかった。)

このアパートには、奄美名瀬市や喜界島からの人がいて友達も出来たから楽しかった。奄美大島では民放が放送されていなかったので、中村雅俊の『俺たちの旅』が面白かった。

この番組から便利屋さんという仕事が出来るきっかけにもなった。

それから、鹿児島市は街が広いから知り合いにもあうことはなかった。
違う、同窓生の女子とバッタリ合ったんだ

ところが、後日、好きな同窓生と偶然にもばったり会った。これには感激した。ましてや、好きな人でしたから(笑)。嬉しかった。

鹿児島市内は、自転車店に働いていた頃以来だから1年ぶりで、暇さえあれば歩き回っていました。

 

■赤軍派、岡本孝三の話し
同じアパートの人達と近所にいた喜界島出身者だったと思うが、怪しげなアパートに連れて行かれた。
そこには、むさ苦しいおじちゃんタイプのお兄さんが鎮座していて、色々な話しを聴かせてくれたが面白かったのが、赤軍派の岡本孝三の話である。
彼は、鹿児島大学の卒業生だが、赤軍派であったということで、彼が住んでいたアパート個室だけは他の個室に比べて安価だというのだ。
その後、岡本公三のお父さんは高校の先生だったが「自分の子供も教育出来ないのに・・・。」辞職した。

当時は、業界でひとつの転換期がきていまして、機械式のレジスターから電子レジスターに変わり始めるころでした。私は、その後、福岡市であのマクドナルドの歴史にも必ず出てくるレジスターで有名だった「SWEDA」(スペルが間違っていましたらごめんなさい)の修理を勉強する最後の研修生でした。

このレジスターは、絶対にボールアップと言ってたと思うのですが、「止まらない、故障しない」と言われていたのですが、マクドナルドの一号店であった銀座の三越にお客さんが来るわ来るわ・・・・。
と、言う話は、藤田田氏の書籍で20代になってから読んだ。

ちなみに鹿児島市内での一号店は、現在のマルヤガーデンの正面玄関の右側でした。
開店の際にレジスターを納品したので間違いないです。


その時に、いつでも故障してもいいようにと何台かが準備されていたという。その当時の最新レジスターだったわけです。

また、現在の普通複写機の黎明時期でもあった普通紙コピーの修理、輪転機等の修理の研修をしていたわけですが、その間に色々な人たちと話をしている中で、営業の担当者からは、「修理を覚えることよりも、売ることを覚えたほうがいいんじゃぁないか」と、いうのです。

「売ることが先で、その後に、修理がでてくるだろう」と、さすがに17歳では何がどうなっているのか判断はできませんでした。

この経験のおかげで、色々な機器に対する先見性が身についてきたのは確かです。

色々な機器を修理しましたが、もっと誰かの指導をうけながらやっていった方がよかったのかもしれません。

そして、ここから、社長ともうまくいかずに、自分で仕事を始めたのが18歳で、これもまた、失敗への茨の道を歩き始めていくきっかけにもなりました。

今は、フリーターがはやっているようですが、私は絶対に反対で、そういった人が増えてくると、間違いが極端に増えてくる時代になるのではないかと思います。

基本的には就職活動をして会社という組織の中で生き抜いていく力と要領と人脈と色々な経験は会社でないとできないのではないでしょうか。

人間の人生ですから、なにがよくてなにが悪いのかは一概には言えませんが、基本は就職活動にあり、先輩方の意見を素直に聞くと言うスタンスを訓練しなければいけない。

だから、人間塞翁が馬。というのでしょうか。

鹿児島在住の頃には、南日本事務機という会社だったと記憶していますが、そこでスエダレジスター、輪転機等の修理を勉強しました。
また、東芝のPPCコピーの修理の講習を福岡の駅前に確か二週間か三週間の住み込んでの勉強
それから一ヶ月してからだろうか、スエダレジスターの総代理店である文祥堂では、メカ式から電子レジスターに変わるということで最後の講習会をしていました。
まったく修理できるレベルではありませんでした。
鉄の塊である、このレジスターがくっそ重たいことだけは記憶しています。
思い出した。当時、福岡市内では天神コアがオープンしました。

ちなみにスエダレジスターは、東京銀座では洋食の「れんが亭」に今でもあると思います。

若いときには、じっくりと、その会社で色々な上司に鍛えられた方が成功するのではないでしょうか。

パソコンブーム

パソコン販売(このころは、昭和58年で、パソコンブームのようなころでして、なにを勘違いしたのか、独立したのはいいが約1,000万円の借金をしてしまい、24歳~35歳までは金銭的に地獄の日々でした。
(借金返済でお困りの方はご相談ください。お金は貸せませんが、返済のアドバイスはできるかと思います。)

さて、パソコンをやってきて反省したことは色々ありますが、ブームという波をよく見てそれに乗れるのか、と言うことだと思います。
たぶん、サーフィンと同じかもしれません。

しかし、ひとつだけよかったなぁ~と思うことがあります、「シミュレーション」をするということがどれだけ大事なことなのかということです。同じ事を何度も何度もシミュレーションをすることによって現実がはっきりわかるものだと言うことを。

その情報としては、毎日営業することによって、シミュレーション用の情報を集めることにあるという事です。そして、毎年のように「なんとかブーム」が毎年あるのです。

土地、金、デジカメ、IT革命もそうなのです。企業であれ、それが、国の政策であれブームなのです。
日本が、土建屋さん政治をしているのも、ガソリン税で、自動車ユーザーをいじめて、どうもない道路を工事しています。

これも実は、万年ブームなのです。よーく見てください。いつかはこのブームは崩壊または、縮小しなければならないのです。その引き際が難しく度胸のいるところなのです。ビジネスチャンスは常にあります。

必ず絶対間違いなくあります。自分自身の人生の棚卸をして、一攫千金の真似事をしてみてはいかがなものでしょうか。そのチャンスも必ず絶対あると確信しています。

その後、豆腐の配達。

森内閣の当時IT何とかと言って、なにもわからない総理大臣がまたまた、このパソコンブームが到来した。儲けるチャンス到来ではある。あなたも、儲けたでしょ。濡れ手に粟で。(笑)ブームは繰り返されるのです。

ブームという顔はしていないのですが。

■成功する方法
人生の棚卸し後、失敗したことの反省よりも、些細なことでも良いから成功体験だけを思い出して行動して下さい。
そのうちに、成功パターンがわかってきます。軌道修正にも役立ちます。

ともかく、成功パターン認識を多くしてください。

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